クールビズよりも着物でシャキッと涼しく

夏の着物
夏の着物

この夏は、クールビズという訳のわからぬ言葉が飛び交っているが、どうやら、ネクタイをはずし、腕まくりをして仕事をすれば、冷房の設定温度が上げられるほど涼しくなるという魔法の言葉らしい。


なるほど、最近の地球温暖化で、昔に較べ確かに夏は一入暑い。しかし、夏暑いのは当たり前ではなかろうか。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があるが、最近の日本人は、多少は暑さを我慢したり涼を得る工夫をしたりせず、クーラーをいれて涼しい部屋でだらしない格好で過ごす人が増えているようだ。


ところで、先日京都市内を車で走っている時、どこかのバス停で、着物姿の中年の女性を見かけた。この暑さの中にもかかわらず、濃い地の紗の着物に、薄地の羅の帯をきりりと締め、日傘をさしてバスを待つその姿は、涼しそうとは行かないまでも、けっして暑そうには見えなかった。なぜか見ている自分の背筋がしゃんと伸びる思いがした。 一方、信号待ちで、横断歩道の前で止まった時、タンクトップに短パンで通り過ぎる同じく中年の女性を見た。着衣が少なければ、涼しいのが当たり前のように思われるが、肌もあらわなその姿を見ていると、とても暑そうに感じた。


世の中何でも便利になり、楽であることが一番という風潮がある。その一方で、礼節が失われ、人間として大切な心の部分もどんどん失われていくように感じる。便利の良さは怠惰を生み、面倒をきらうことは簡略化を生む。しかし、世の中、便利であったり簡素化してはいけないことも多いはずなのに、いたるところ時代だからと何でもありで、節操も無く、味気ない方向にどんどん進んで行くのは恐ろしい気すらする。


 「クールビズ」も正に、そんな風潮を助長しているようだ。単にネクタイをはずすというポーズが、本質をうがつ説得力のある行為だとは到底思えない。これをあさはかなスローガンと思っている人は、恐らく自分だけではないだろう。


ところで、余談ながら、私は夏生まれのせいか、暑いのは寒いのに較べ、苦にならない。もちろん人と同じように暑い時は暑いし、今日は暑いと口に出る。しかし、暑いのは嫌いではない。