行きづまった今の時代に”引く”ことの大切。

ちりめんの短歌集
ちりめんの短歌集

先日ある遠方のお客様から、贈り物が届いた。思いがけないことで驚いたが、その贈り物はというと、一冊の短歌集だった。

柔らかな薄い和紙のカバーをはずすと、ハッとするほど鮮やかな朱色のちりめん表紙が現われ、その表紙の真ん中よりやや上あたりに、ほどよい大きさの歌集名の和紙が貼られていた。更にその名前の洗練された細い書体と絹表紙のしなやかな手触りは、この本に、女性ならではのこだわりと繊細さを与えていた。

元々私は、お客様から短歌集の本の表紙をちりめんで作りたいというご注文をいただいた時に、この本の出来上がりの姿をお聞きし、知っていた。しかし、実際に出来上がった本を手にとってみて初めて、このお客様が、数ある生地の中からなぜこの生地をお選びになり、なぜ表紙の色がこの色でなければならなかったのかを納得することができた。

私は、一機にこの短歌集を最後まで読み終えた。普段、短歌になど触れたことのない自分には、とても新鮮な経験だった。それは、忙しさにかまけ、自らの喉の渇きをも覚えない者が、突然目の前に差し出された一杯の水を飲み干し、初めて喉が渇いていたことを知った、まさしくそんな感じだった。

それにしても、短歌というものは、少ない言葉で、よくも読む人に瞬時にしてその映像を生き生きと浮かびあがらせ、音や匂いまでをも感じさせ、なお自らの今在ることへの喜びや感謝までも伝えることができるものなのだと、今更ながらに驚いた。このように、少ない言葉で、多くを伝えるというと、誰のことかは忘れたが、「今日は時間が無くて、長い手紙になってごめんなさい。」と手紙の最後に書いた人のことを思い出した。物事を表現し伝えようとする時、どんなにたくさんの言葉を使って表現するよりも、むしろ選びぬかれた少ない言葉ほどに、想いはよく伝わるのものなのだろう。

また、短歌に限らず、余計なものを極限までそぎ落とし引き去る事で逆に無限の世界を表現しようとする手法は、日本文化の特徴なのかも知れない。そして、このことは、例えば能や狂言のような伝統芸能、竜安寺の石庭などに代表されるの枯山水の庭園、精進料理がルーツとといわれる懐石料理、茶道や華道の世界など、多くの日本文化に共通しているように思える。

表現したいことや伝えたいことが大きければ大きいほど、足していこうとする西洋文化に対し、逆にどんどん引きさろうとする日本文化、それは、油絵と墨絵の関係に似ている。油絵では、まず色を塗らない部分を残すことなど考えられないが、墨絵では、可能な限りあらゆるものを排除し、表現したいものの真髄だけを残そうとする。したがって白い余白までもが大きな意味を持つ。そして、その余白にこそに見る人は、さまざまに想いをめぐらせる。

ところで、このような、「足す」「引く」という観点から、現代に生きるわれわれを眺めると、西洋文化の影響か、物やお金を得ること、すなわち、足すことのみを追求するあまり、生活空間の悪化が進み、他人にに対する思いやりとか、優しさとか、心遣いなども希薄になった。その結果、ぎすぎすした、いらだった雰囲気が日本中に充満している。こんな時代だからこそ、今、「引く」ということを、真剣に考えなくてはならない時にきている気がする。

以前シンプルライフという言葉が流行ったが、今こそもう一度本当の意味でのシンプルライフを考え直してもよさそうである。どれだけ引けるか、まさに、それが、心の豊かさとと、幸せのバロメータになるだろう。

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コメント: 1
  • #1

    Evangelina Bode (金曜日, 03 2月 2017 20:05)


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