着物が消えた丹後の秋祭り

10月の第2日曜日は、丹後のあちこちで、秋祭りがおこなわれる。

 

この地域でも、お昼を過ぎると、かつての村の中心にある石明神という祠の前に村のあちこちの地区から、御輿、神楽、ささばやし、三番叟、太刀ふり、子供御輿などの散楽が次々と集まってくる。するとあたりは太鼓の音、笛の音、御輿の鈴の音や掛け声、人々のざわめきなどが幾重にも重なり、お祭りの昂揚感も最高潮になる。やがて、御輿は村中を練り回り、散楽の巡行行列は、村の中心を通り、神社参道から本殿へ至る。

 

このようにして毎年同じようにお祭りは始まり、同じようにお祭りは終る。

 

 ところで、最近のお祭りで残念なことは、集まる人々に着物姿がほとんどなくなっことだ。今年のお祭りで私が見た着物姿は、散楽関係の人々を除けば、七歳位の女の子と中年の女性のたった二人だけだった。

 

かつては、神社に参拝する多くの人々は男女を問わず着物を着て参拝したものだ。また、着物といかないまでも、正装に準ずるくらいの服装で参拝するものが当たり前だったような気がする。しかし、最近では着物どころか普段着でお参りする人を見かけることが増えた。このようなお祭りに参加する人々の衣服の変化から、逆にお祭りを人々がどのようにとらえているかを伺い知ることができる。

 

そもそもお祭りは村人にとって特別な行事だった。 それぞれの神社のある地域の人々は、子供が生まれればお宮参りをし氏子になる。やがて七五三、成人式、初老、還暦・・・と人生の節目々にはかならず神社へ参る。また、地域に災いが続くようなことがあれば村人はこぞってご祈祷をうけ地域の安全を祈願する。このように神社は常に地域を守る社として存在し、神様と村人たちとが常に身近にあった。

 

そういう中で年に一度の大祭はその地域の人々にとって特別なものであり、神様に敬意を払う意味できちんとした身なりをして神社へ参るのは当然だった。

 

 ところが最近では、人々のお祭りのとらえ方は、神事というよりもイベント的な感覚が強くなってきたのではないだろうか。イベントならば、平服や普段着で参加しても、何ら問題はない。

 

確かに時代が変わるほどに、人々のお祭りに対する思いが変わるのも仕方のないことかも知れないが、お祭りを神事として厳粛にとらえ向き合う気持ちは変えてはならないと思う。