「蔓文様」色々。「むかご」の蔓で思い出すお客様。

”暑さ寒さも彼岸まで”というが、彼岸に入り、すっかりあたりが秋めいてきた。

 

着物の文様で、秋の柄の一つに「蔓」がある。

 

「蔓」というと、「蔦」や「葡萄」の文様がすぐに思い浮かぶ。

 

「蔦文様」は古くから染織品などには蔓草と合わせて「蔦葛」(つたかずら)としてよく使われてきた。


また、「葡萄文様」は西方から中国を経て日本へ伝えられたというが、他の文様と組み合わされてよく使われる。
例えば「葡萄唐草」は、蔓、葉、実が装飾され、ゴージャスな文様で、元々仏教とともに中国から伝来した模様らしい。

そもそも「蔓草文様」というと一般的には「唐草文様」と同じ意味になるが、「唐草」、「牡丹唐草」、「宝相華唐草」(ほうそうげからくさ)、「アラベスク」など、たくさんの種類がある。

このように「唐草文様」は古く海外から渡ってきた文様であっても、着物の文様としてだけでなく、絵画や装飾品を始め様々なものに、日本人の代表的なデザインとして定着している。それは、紅葉の季節、蔓が他のものに絡みついた姿、古くからその風情が日本人に好まれたからだろう。

なぜ今「蔓」の話かというと、毎年この時季になると、この「蔓」が、あるお客様のことを思い出させるからだ。

実はもう随分前から、この時季になると弊店の竹垣の植え込みのあちこちから蔓が生えてきて、木々に巻きつくようになった。不思議なことだと思っていたら、その訳が後で分かった。

遠方からご夫婦で来店されたお客様のご主人が、いたずら心で植え込みの何か所かにわたって「むかご」の種を植えられたらしいのだ。今度来た時に、「むかご」が成長した姿を見るのが楽しみでなさったということだった。

今年もしっかりと樫の木に巻きついている。「むかご」は山芋の一種で食べられるらしいが、私自身とりわけ食べたいとも思わない。しかし、所かわって料亭などで出されれば、「美味しいですね!」などと言いながらきっと珍しがっていただくことだろう。

これからも毎年「むかご」の蔓を見るたび、そのお客様のことを思い出すに違いない。

 

 

 

 

心とお金

今年の夏の日の早朝のこと、ある遠方のお得意様から電話があった。

 

その電話は、ご主人が突然未明に亡くなられ、明後日が葬儀に決まり、ついては、夏の着物を着せて逝かせてやりたいが、何とかならないかというものであった。さらに、電話ごしの奥様の様子から、夜が明けるのを待つようにしてお電話いただいたことは明らかだった。

 

私は、とっさに、何とかやってみましょうとご返事をし、すぐに仕立屋さんに無理をお願いすることになった。


そして次の日、お昼過ぎに着物がきれいに仕立て上がり、私はすぐに出来上がった着物と帯を持って、高速で岡山へと向かった。そして、なんとかお通夜の始まる一時間前にお得意様のお宅へ到着することができ、待ちわびておられた奥様は、すぐに着物をご主人に着せられた。


あの時は何とか着物を間に合わせお役に立ちたい一心であったが、今考えると、丸一日で着物を仕上げることや、岡山までの距離を考えると、間に合うかどうかは一つのかけであった。しかし、結果お役に立てることが出来、本当に良かったと胸をなでおろした。


ところで、このように最後の最後まで愛する人を思いやる方がいらっしゃるかと思えば、今の時代、喪の着物を持っていても、着た後始末が大変だからとか手入れにお金がかかるからと洋服や借衣装にする人が増えている。喪の着物を着なければならない人なら、故人とは近い間柄の人に違いないはずだ。大切な人との別れに際し、このような冷静さには怖いものを感じる。


このように最近、とりわけ大事なことにおいても手間とかお金を惜しむ風潮があるが、人々はそんな風潮に慣れる一方で、人の心を粗末にし、人として大切なものをどんどん失っているように感じる。お金のために人の心がすさび、他人に対する思いやりや優しさなどが薄くなる。その結果、社会では、毎日のように今まででは考えられないようなおぞましい出来事が起き、家庭の中においてすら、非常に痛ましい凄惨な事件が増えてきた。

 

確かにお金は大事だけれど、物事の判断のほとんどが、金銭的なフィルターを通してなされる時代というのは、あまりにも寂しい気がする。
拝金主義に走り、優しさを失くした国家、真心を失くした社会、思いやりを失くした家庭、一体この国の人々はどこへ向かっているのだろう。

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爆弾三勇士

過日、「ひとり言」の2005年1月18日に書いた”戦時色”を読まれた方からお電話をいただいた。

 

それは、この中で紹介している男物の長襦袢の柄が、実は、”爆弾三勇士”をテーマに染められた品物で、この方はこの長襦袢に以前から興味を持っておられ、実際に現物を見てみたいというものであった。そして、わざわざご遠方からこの長襦袢だけを見に来られるという。

 

私は、この長襦袢がただ単に戦争の柄の珍しい長襦袢だとしか思っていなかっただけに、驚いてしまった。そこで、お見えになった折には、この長襦袢をお持ちのお得意様へこの方をお連れするよう手配させていただいた。

 


ところで、今回初めて知ったのだが、この"爆弾三勇士"とは、「上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、蔡廷楷率いる19路軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破(強行破壊)し、自らも爆死した独立工兵第18大隊(久留米)の、江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵のことを指す。」のだという。そして、この事件は、当時愛国美談として称えられ、映画や歌になっていたことも知った。

 


私は、最初、長襦袢の柄にまで、戦争が影響を及ぼしていたことに驚いたが、今回この柄が”爆弾三勇士”であることを教えていただいたことで、この頃の日本が軍国熱の高まりと共に、大戦争にまっしぐらに突き進んでいく様子を知ることができ、このような世相と日本人の急進性に恐ろしいものを感じた。

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戦時色

先日お客様からご注文があり、お宅へ伺うと、ちょうど男物のきものを出しておられた。

そして、その中には何枚かの男襦袢があったが、「父の長襦袢ですがこんな珍しい物が

あるんですよ」と、そのうちの一枚を見せていただいた。畳の上に広げられたその長襦袢は、

鉄色の地で、後身頃全体にたくさんの柄が重なって染められていた。


しかし、それは今までに見たこともない柄だった。一体これは何の柄だろうとよく見ると、

新聞の戦況についてのコラム、銃剣、ヘルメット、ミサイル、戦車等、戦争にまつわる

いろんな物が所狭しと染められていた。


戦時中の品物であることはすぐ分かったが、戦争というものは、こんな所にまで及んで

来るものだろうか。戦争を知らない世代の自分ではあるが、「戦時色」という言葉が

あるように、戦争は、人々の精神のみならず、あらゆるものにまでその影響を及ぼしていたことを、あらためて知った。

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