遅すぎる初雪におおわれた織物の町、丹後!

とうとう今年も雪が降った。昨年末からお正月にかけて忙しい時期に暖かく雪が降らなかったことで、人々は口々に足もとがよくて助かると話していた。

平年なら、12月になると初雪が降り、お正月には雪見酒なんてことも珍しくないが、今年はお正月過ぎても春のような暖かい日が続いていた。

しかし、12日から降り始めた雪は今日もなお断続的に降り続いている。

やはりまだ1月も半ば、これから大寒を迎えようというところで、天はしっかりとバランスをとったようだ。

 

大雪というと、いわゆる”さんぱち(3・8)豪雪”を思い出す。この時は、降り積もった雪が軒と繋がったので、当時小学生の自分は、平屋だった我が家の屋根からスキーで滑り下りたことを思い出す。

 

当時から比べると、最近は温暖化のせいか、あまり雪が降らなくなった。丹後はもともと雪が多いし、日本海側の独特の気候で、「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われるほど、秋は天気が変わりやすい。

 

このように雪や雨の多い多い気候で湿気の多いことが、丹後ちりめんの織物に適していると言われる。湿気があるほうが乾燥しているより、糸が切れにくく、扱いやすいのだ。

 

そのために、海の近く砂浜に近いところの工場では、乾燥する時期には、屋根に水を揚げていると聞く。また、暑い季節には、空冷のエアコンではなく、水冷のいわゆるクーラーを使用しているところもある。また、ちりめんは長年目方で取引きされてきた、湿気があるほうが、それだけ反物が湿気を吸い量目が重くなり、高く売れるというわけだ。

 

このように、丹後の地場産業である丹後ちりめんと、丹後の雪や雨の多い気候は、古来より深い関係があるというお話でした。

 

それはそうと、今から雪かきをせねば!

 

 

 

 

 

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高速道路もいいが、一般道路を走るのもまた楽しい。

美山の集落

先日”山陰近畿自動車道”が”天橋立インター”からわが町大宮町まで開通した。ほんの数キロの区間だが、トンネルで繋がったので、今までのように大回りをしなくてよくなり、天の橋立インターから大宮町までが随分近くなった。

 

お陰で、われわれ丹後に住む人々にとって、京阪神へ行くのが便利になったが、同様に京阪神に住むの人々にとっても、丹後が今までより近くなったと感じていることだろう。

 

そのせいか、金曜日の午後から日曜日にかけて車が急に増えた。おそらく京阪神からカニを食べに訪れた人々の車だろう。

 

私も、京都に出張するのに、これからさぞ高速を頻繁に利用するだろうと思いきや、それが全く反対なのだ。

 

若い頃は、よく遠方まで出かけ、毎月高速代がこのくらいかかるとか得意げに話していたことがある。しかし、最近急ぐことがそんなに無くなったことと、早く目的地に着くことにそんなに価値があるとは思えなくなった。

 

ある時、京都への出張の折、いつものルートを変更したことがあり、以来そのルートにはまってしまった。その私がはまってしまったルートについてご紹介しよう。それは、和知から、美山、京北を経由し京都に至るルートだ。

 

まず、和知から京都府道12号線をしばらく走ると大野ダムにさしかかる。ここは、春は桜の名所として有名なところだ。数年前のこと、その年はどこの桜を見ても桜の色がいつもより薄く感じられ、残念に思っていた。ところが、ここを通りがかった時、満開の桜が文字通りしっかりとした”桜色で”見事というほかなく大満足だった。また、晩秋に通りがかった時には、川の対岸の紅葉がすばらしく、思わず車を路肩に止め、まるで東山魁夷の絵のような景色にしばらく見入ってしまった。

 

この大野ダムを後にしばらく走ると、”野々村仁清生誕の地”という看板が現れる。野々村仁清の色絵の優雅さというのは、このような美しい自然の中で育まれた感性によるのだろうかなどと、勝手な想像をしながら通り過ぎる。

 

そして今なお残る茅葺屋根の家々や、美山の美しい自然の中に溶け込んだ集落を眺めながら、由良川上流の渓谷をさらに行くと、美山の道の駅に到着する。

 

ここでは、美山牛乳やアイスクリームなどが売られているが、牛乳が強くない自分は、コーヒー牛乳を飲みながら喉を潤し、さらに京北を目指す。

 

しばらく走ると、あたりは森の中、大きな木々の中に小川が流れている景色を見ていると、まるでピーターラビットが出てきそうな美しい森だ。一方、他の地域で峠を走っていたりすると、うっそうとした森の中、昼なお暗く、不気味な街道に遭遇することがよくある。しかし、いつも感じるのだが、日吉や美山の山林は間伐がされ、よく手入れもされているので、ちゃんと地面に木漏れ日が届いていて気持ちがいい。

 

やがて森を抜け、京北の街道を進む。夕暮れ時には、ゆうげのしたくか、煙突から煙が立ち昇っている光景を見ると、忘れてしまった昭和の時代にタイムスリップしたような感じがする。

 

そして、いよいよ終盤、周山街道をひた走ると、美しい北山杉のゾーンに入る。川端康成の”古都”の舞台になった中川の里を通過する。そう言えば、学生時代この小説を読み、どんなところか知りたくて寒い冬にこの地を訪れたことがある。この時は北山杉と残雪と寒さの中で、小説の世界がよみがえり、切ない気持ちになったことを思いだす。

 

そんな思いを巡らしているうちに、”京都 栂ノ尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり ♫ ” デュークエイセスのメロディーが頭をよぎる。その高山寺の参道を横に見てさらに進むと、高尾に入る。

 

高尾といえば紅葉の名所で、晩秋ともなれば多くの観光客で賑わう。特に神護寺はすばらしく、若い時一度だけ訪れたことがあるが、どっしりと落ち着きのある静かな古刹だったように記憶している。機会があればまた訪れてみたいと思う。

 

とまあ、こんな1時間半あまりのドライブだけれど、さらに、車が少ない、信号が少ない、というわけで、独りよがりだが、私にとって大変楽しいドライブルートになっている。

 

 

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丹後のおいしい丁稚ようかん

商売柄、月の内三分の一程度は全国あちこちへ出張しているが、その都度お客様への手土産を何にしようかと考える。そんな中、丹後のものということで、昔から地元の「丁稚ようかん」を愛用している。

なぜなら、それはただ単にお客様に大変喜んでもらえるからである。「おいしくていっぺんに丸1本でも食べられる」とか、「売っているところを教えてほしい」とか、「またあのよーかんを食べたい」とか、さしあげたお客様からの好意的な言葉は数えきれない。

ところが、10年以上も前になるだろうか、店主が亡くなり、このようかんが製造されなくなった。残念に思っていたが、数年後息子さんがまたようかんづくりを再開された。

 

そこで、また出張に出かけるごとに、おみやげに買い求めたが、今度は誰にさしあげても、以前のような反応は全く無くなってしまった。

味が変わってしまったせいだろうが、聞くところでは、お父さんの時のレシピも残っているらしい。やはり、同じように作っても同じ味にならないというのは、レシピ上にはない何か秘訣があるのだろう。

 

しかし、数年前よりまた、お客様の反応がよくなってきた。あのようかんをまとめて買ってほしいと頼まれることもしばしば。息子さんにはさらに精進していただいて、ぜひお父さんを超えてほしいものだと思う。

 

畑は違うが、呉服の分野においても、特に丹後ちりめんに代表されるところの織物業、また友禅染に代表される京都の染物業なども、後継者がないことが大きな問題となってきている。特に京友禅は、一人の作家が始めから終わりまで仕上げていく加賀友禅と違い、それぞれの工程に携わる職人さんたちの分業による。しかも、それぞれの職人さんたちの熟練した技術に支えられている。

 

先ほどのようかんのレシピではないが、技術は、文書や資料として残しても、人から人へ伝承されなければ決して後世には正しく伝わらない。その意味では、まさしく今が昔ながらの着物品質を保てるかどうかの瀬戸際なのかも知れない。着物文化を絶やさないために、今業界こぞってこの問題に真剣に取り組むべき時だろう。

 

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